私って、救いようのないアホなのかしらん?
美鶴は凍える身を両手で抱きながら俯いた。
繁華街の裏路地。表通りとは対照的に、灯りも人気も無い。背後には重そうな扉。冷たく立ちはだかり、奥の世界へ侵入を拒む。
「ハートのエースに変えてみせますっ!」
そう叫んだのはこの場所だ。体中の勇気を総動員させてビッと指差す美鶴を、霞流慎二は冷たく押し退けた。あまり良い思い出も無い場所だ。
冬の寒さは凍えるようで、風など吹かなくても芯から冷える。薄暗く、不気味な雰囲気しか漂ってこない。そんな場所に、なぜ美鶴は一人で蹲っているのか。
それは、この場所以外に思いつかなかったから。
自分だって、瑠駆真や聡や金本緩の恋心に負けないくらい霞流さんを想っている。だけれども、自分に振られてもなお想いを寄せてくる二人や、成り行きとは言え開き直って胸を張る緩と比べて、自分は気持ちで負けている。
こんなんじゃ、霞流さんを振り向かせる事はできない
無理矢理自分を奮い立たせ、マンションへ戻って着替えた。まるで戦場にでも行くつもりで、腹ごしらえとばかりにカップラーメンを二つも平らげ、シャワーを浴びて身を清めた。
銀梅花。
その香りに後押しされるように家を出た。真っ直ぐにここへ来た。
何か計画があったワケではない。部屋であれこれと策など練っていては、一歩踏み出そうとした気持ちが萎えてしまいそうで、じっとしていられなかったのだ。
とにかく、霞流さんに会わないと。そうでなければ何も始まらない。
霞流邸へ行く事も一瞬考えた。だがすぐにその考えは消えた。
行けば会えるかもしれない。だが行って、玄関でチャイムを鳴らして取次ぎを願っても、果たして霞流慎二が会ってくれるかどうかわからない。美鶴の気持ちを知っているであろう幸田や木崎ならそれなりに協力もしてくれるだろうが、会う会わないは霞流の意思だ。なにより、幸田や木崎に協力してもらえば、かえって霞流の不評を買いかねない。
「ふん、一人では何もできない女など、興味もない」
そんな言葉が聞こえてきそう。
そもそも、家に居るとは限らない。昼間に幸田と一緒に緩を連れて訪ねた時には、慎二は留守だった。居ない確立の方が高いのかもしれない。
富丘の家はダメだ。でも他に霞流さんに会えそうな所って?
彼は夜な夜な繁華街へ通っている。結局、ここしか思いつかなかった。
その勘は、実は見事に当たっていた。その証拠に、一時間ほど前に美鶴は、慎二とこの場所で会っている。
最初は扉の前で張っていたが、店へやってくる奇抜な人々の好奇な眼差しを避けるうち、知らずに扉から離れていた。薄暗がりの裏路地。扉の位置を示す灯りから外れればほとんど暗闇。ゆえに慎二は、そこに美鶴が立っている事に最初は気づかなかった。
「霞流さんっ」
呼びかけて、美鶴は数歩前へ出た。だが、そのまま立ち竦んだ。
慎二の腕に絡まる曖昧な存在。
「お前か」
やや目を見開いたものの、大した驚きも見せずに呟く。
「ずいぶんとみすぼらしい身姿だな。マッチでも売っているのか?」
途端、横の男がクツクツと笑う。
「売っているように見えますか?」
「あぁ、見える」
即答し、顎をあげる。
「マッチの炎で淡い夢を叶えて満足している、哀れな小娘に見えるよ」
「残念ながら、私は夢では満足できないみたいなので」
どうしてだろう。あれほど不安でたまらなかったのに、会って何を言えばいいのかまったく考えてもいなかったのに、霞流さんと対峙すると、どうにでもなれという気分になれる。
悩んだって所詮は無意味だからだろうか? それとも、振り向かせたいという想いが、勇気を湧き上がらせているのだろうか? 自分に向って胸を張り、開き直るように瑠駆真が好きだと宣言した金本緩も、やっぱりそうだったのだろうか?
一瞬浮かんだ高校の後輩を頭の隅に追いやり、美鶴は息を吸う。
「現実の霞流さんに逢いにきました」
「俺は別に逢いたくもない」
「店に入れてください」
霞流の言葉など無視してハッキリと告げる。
「店?」
さすがに眉を潜める慎二。
「この店に入るのか?」
「はい」
「お前が?」
「はい」
鼻で笑う。
「無理だ。この店にお子様ランチは置いていない」
「私もお子様ランチを頼むつもりはありません。そもそもランチの時間は終わってるでしょう?」
「言うじゃないか」
慎二の言葉に美鶴は胸の内でガッツポーズ。だがその拳は、無残に叩かれる。
「口答えをする奴は、ますます虐めてみたくなる」
男が艶かしく慎二の首筋に唇を当てる。
「入りたければ、一人で入ればいいだろう?」
「入れません。だって私、未成年だし、ここは会員制だから」
「だから、俺に頼るのか?」
グッと唇を噛み締める。
「ふん、無様だな」
言うなり傍らの男性の腰に手を回す。美鶴にも見えるように大袈裟に、ゆったりと。
「俺に頼らなければ店にも入れないような輩、相手にもする価値も無い」
扉に手を掛ける。
「失せろ」
「あ、ちょっと」
「目障りだ」
振り向きざまに睨みつけられる。細く、端正で秀麗な、それでいて冷たく、頬を切る北風のような瞳。美鶴の動きが止まった。慎二はそんな相手へ一瞥を投げただけで、無言のまま扉を閉めた。
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